恋のエチュード
前回の記事、三作品も長々と書き綴ったおかげで年越しちゃった。随分遅くなってしまったけどハッピーニューイヤー。
今度の映画は、「トリュフォーの手紙」刊行記念特集の2日目、「恋のエチュード」「突然炎のごとく」。
「突然炎のごとく」はさらっとあらすじを読んだことがあったのだけど、「恋のエチュード」に関しては1人の男と姉妹の三角関係を描いた恋愛映画というほかは予備知識なし。「恋のエチュード」から観ることになったのでどんな物語なのか多少どきどきしつつ、文芸坐に足を運んだ。
ものすごく文学的な香りがするな、とおもってたら、案の定アンリ=ピエール・ロシェという作家の「二人の英国女性と大陸」っていう原作があるみたい。フランス映画にしちゃ珍しく、小説を映画化したっていうのがストレートに伝わってくる作品だった。やたら感傷的で、劇的な描写・演出が多かったのはきっとそのせいなんだろな。ナレーションも小説の地の文を引用してるようだったし。ちなみにこのナレーションはトリュフォー自身によるもの。
結論から言うと、好きな映画じゃなかった。
まず、文学的な色が濃い作品が苦手。あの感傷的でドロドロした雰囲気が苦手。シェイクスピアとか世界的名作の映画化作品ですら、積極的に観たいとはおもえないんだよね。嫌いっていうよりも苦手っていう表現がしっくりくる。物語の起伏が激しくて、扇情的・劇的な演出が多いのがあまり好きになれないのかもしれない。特にえぐいシーンは、文字で読むぶんには大して気にならなくても、映像として見るのはキツい。
逆にテンポがいい映画だとか、題材・内容の重さの割にそれを感じさせない、しかし見事にそのメッセージを内包してる映画だとか、淡々としつつも深みを感じさせる映画なんかは好きだし、巧いとおもう。何気ない演出の中で、表情や仕草、台詞まわし、醸し出す雰囲気でどれだけ表現できているのか、何を伝えているのか、それが俳優の演技を観る醍醐味だとおもっているし。
文学色の強い作品を観るなら舞台かな。あとは、ファンタジー作品は面白くて人間にCG多用してなければ割と何でも観れるなー。といっても、今まで観た中で好きだと言えるのはスター・ウォーズとロード・オブ・ザ・リングくらいだけど。
「恋のエチュード」の話に戻すね。
個人的にこの映画の一番受け付けなかったところは、性描写の生々しさ。特に初夜の血が流れる描写と、ブラウン姉妹の妹ミュリエルの幼少期の性体験の告白のシーンは、イケナイものを見てる気分でいたたまれなかったし、なかなか衝撃的だった。さすがにこんなシーン、今まで映画で見たことない。というか、これこそ文字で読むぶんには問題ないけど映像として見るのはダメだなとおもうシーン。私は映画に関して他人の評価はそれほど気にならないタイプなのだけど、「恋のエチュード」のエピソードを軽く調べてみたら、本国フランスでもこの作品は不評だったらしいねー。パリで公開したとき、オリジナル版は132分なのに、映画が不評だったから劇場側が要請を出して、20分ほどカットした118分になったのだそう。特に前述の流血シーンには抗議が殺到して、まるまるカットすることになったとか。比較的性に奔放なイメージのあるフランスだけど、さすがにそういうのはダメなんだね。
でもおもえば確かに、フランス映画では高確率で女優が脱いで胸晒すし、部屋で下着姿なんてあたりまえだけど、そこにいやらしさはないんだよね。むしろ美しい。だから観ていてもいたたまれなさとか感じない。それと比べたら、今回の性描写は異質。ショッキングで生々しくて痛々しくてえぐいし、正直美しいとはとても言えない。フランス人にウケが悪いのも当然かなとおもう。もちろん性が美しいだけのものじゃないことは理解しているし、この映画から伝わる、恋愛の歓喜や快楽と同時に存在する苦悩、痛み、苦しみを表現するという点ではこういう性描写はインパクトもあってとても効果的、必要ですらあったかもしれないけど、やっぱり受け手の一人としては少々キツかったかな。
どうやら私の評価は当時の世間一般の評価とほぼ同じのよう。アメリカでも、全体の流れをスムーズにするためとはいえかなりカットした106分版での公開だったようだし。
トリュフォー自身は、不評の原因を娘がロウソクを持って暗い階段を昇るシーンに象徴されるような、あまりにも感傷的な演出にあると判断したらしい。まあ演出というか表現の仕方の問題も、書いたとおり個人的にはあるよね。庭でテニスをしてて、ミュリエルがクロードの姿をダブらせて眩暈を起こすシーンとか、姉のアンにクロードとの関係を告白されてショックを受けるシーンなんかは、この映画で演出的に気に入らなかったシーンのひとつ。
だけどやっぱり、一番の原因は性描写の問題だとおもう。
ちなみにトリュフォーはあくまで観客があってこその映画だと考えていたそうで、この興行的な失敗は苦い経験だったらしい。ただ、その失敗が前述の理由にあると考えたものだから、後にこの「恋のエチュード」と「アデルの恋の物語」、「緑色の部屋」を自ら「ロウソクの3部作」と呼んで撮り直しを図ってるのね。あと、前回レビューを書いた「アメリカの夜」には女優の顔を照らす照明をカメラから見えない位置に備え付けた特殊なロウソクの小道具が登場しているんだとか。
だけどやっぱり、失敗の理由は性描写の問題だとおもう。
この映画の超簡略的なあらすじを改めて。オーギュスト・ロダンの彫刻が好きなアン、彼女の3歳年下で眼を病んでいるミュリエルというブラウン姉妹と、アンと知り合って彼女の実家があるイギリスに渡った青年クロード。クロードは姉妹の両方を愛してしまい、姉妹のほうも2人ともクロードを愛するようになる、というお話。
ブラウン姉妹を演じたキカ・マーカムとステーシー・テンデターはイギリス人。キカ・マーカムは出演作もほかに何本かあるみたいだけど、ミュリエルを演じたステーシー・テンデターは出演作は知られている限りこの1本のみ、しかも2008年に59歳で亡くなってるのね。ミュリエルの役がとても合っていて、印象に残っているだけに残念。彼女たち扮するブラウン姉妹は外貌、内面ともにそれぞれ異なった魅力を持っていて、この二人の女優はその個性にぴったりの好演だったのでナイスキャスティングだとおもう。具体的なキャラクターを一言でいうと、アンは華やかで奔放でありながらも妹思いの優しい姉、ミュリエルは繊細で儚げでありながらも芯の強い妹、という感じ。
アンははじめ、イギリスに渡ってきたクロードをしきりにミュリエルと結びつけようとするのだけど、クロードもミュリエルに惹きつけられたようだったし、ミュリエルもだんだんその気になっていっていたから、ここは妹思いの優しい部分が出ていたようにおもう。クロードと関係を持ったことについては結構妹への罪悪感があったようだし。ただ、クロードとミュリエルの二人が結局結ばれることなく別れてからは、パリに研修に行った折に今度は自分がクロードと関係を持ち、その関係が終わってからも奔放に恋愛を重ねるあたり、さっぱりと明るく自由気儘な性格ゆえかともおもったり。自分のペースで恋愛をするタイプで、クロードとの付き合いもどちらかというと振り回す側であったように見える。そしてそんな人生の果てに、結核で死に至るのだけど、死の直前まで医者を呼ばなかったり、病気であることを悟った時点で婚約関係を解消したりと、ここでも自分の意志を第一に行動するアン。この医者を呼ばないアンは、「嵐が丘」の作者エミリ・ブロンテをモデルにしているそうで、余談ながらエミリは死ぬ2時間前まで医者を呼ぶことを許さなかったとか。
一方ミュリエルは、とにかく壊れそうなほどナイーブで色々と脆そうな感じ。陰に咲く菫のごとく面立ちや佇まいも儚げで、このあたりは演じたステーシー・テンデター自身が強い印象を残したとおもう。性格だけでなく眼の病気や幼少期の性体験等の影響も感じさせる、どこか深い影を負ったような憂いを帯びた表情が秀逸。彼女の場合はその繊細な性格から、クロードとの恋愛の苦悩も姉より一層大きかったと見えて、件の性体験を含めたその告白、感情の吐露は壮絶。姉にクロードとの関係を告げられたときの姿は痛々しいほどだったし。精神の清らかさゆえに、それに相反する背徳的な快楽や恋愛の苦悩に翻弄された女の子だったのかなとおもう。
ただ、そんな中にも二度にわたってクロードの愛を拒絶し、教師となって平凡な結婚をするというところに、彼女の芯の強い生き様が感じられるような気がする。
そしてクロード。お馴染みのジャン=ピエール・レオー。前の記事にも書いたけど、彼はダメ男がとにかく合う。フランス映画は結構男性の女々しさみたいなものを描き出すのが多いし巧いとおもうのだけど、それが愛ゆえっていうのがはっきりしてるから、人間味もリアリティもあって見ていて憎めないんだよね。ジャン=ピエール・レオーが演じる男たちっていうのはまさにそんな感じで、どこかユーモラスで可愛げのあるバカで、憎めない。このクロードという役柄も、二人の女性をめぐって揺れ動く優柔不断な感じが見事にはまって存在感がしっかり出てる。その行動にはまったく共感できないのだけど、男の性としてはリアリティがあって納得させられる。
そして彼の無表情のうちに秘めた陰鬱さが印象的。物語のラストは、年をとってからアンとの思い出のあるロダン美術館にクロードがやってくる場面なのだけど、ガラス越しに見た自分の姿に「老人のようだ」と呟くシーンは圧巻。一人の女性に向き合って真摯な愛に結ばれることなく青春を終えたことに気づいて呆然とする表情、佇まいに脱帽した。青春の儚さを無常感たっぷりに描き出すこのエンディングは本当に素晴らしいとおもう。
この作品、やはりどうにも好みじゃないのだけど、見事だなーと感嘆したところは実はたくさんあって。
全体的なストーリーはいまいちだというのが正直な感想だけど、前述のとおりラストは素晴らしかったし、青春の朽ちやすさ、恋愛の苦悩や痛みといった部分は胸をうつものがあった。移ろいやすく繊細な男女の感情が時の流れとともに巧く表現されてた。
映像的によかったのは何よりその美しさ。古い映画だというのもあるのだろうけど、どこかぼやけたような感じも素敵だった。短い間隔でのフェイドアウトの多用がリズミカルで文学的な香りに効果を添えているし、ナレーションも映画文学としての豊かな味と余韻を醸し出していたし。
あとはやっぱり、美術や衣装がクラシカルで佳いなー。小道具も洒落てて効いてるし、音楽も好き。
そして何よりあのブラウン姉妹の家がある海辺の風景の素晴らしさ。ウェールズという設定だけど、トリュフォーが「華氏451」での苦労以来イギリスに滞在するのを嫌がったものだから、ほとんどがフランスのノルマンディーで撮影されたらしい。ノルマンディーにあんなところがあるなんて、是非行ってみたいなー。
「恋のエチュード」、好きではないけれど、文学的な芳醇な味わいのある作品だと感じた。